瀬戸散歩記
こんにちは。修士1年の中村です。
私事ではありますが、1つ話をさせていただきます。
というのも先日、運動のために瀬戸を散歩してきました。
出発地点は定光寺駅という、名古屋と多治見の間にある駅です。
私は多治見まで電車で通っているのですが、常々、この無人駅がなぜあるのか疑問に思っていました。
調べてみると、どうやらハイキングに便利な駅ということで利用されているみたいです。
せっかく知ったわけですから、この際に出発地点としてみました。
そして総合ルートは以下のようにしました。
定光寺→(7.6km)→道の駅瀬戸しなの→(3.3km)→岩屋堂公園→(約3.0km)
→雲興寺→(約4.5km)→猿投山→(約4.7km)→猿投神社
簡単にいうと、瀬戸市を西から東に横断して豊田市に行くコースです。
この日は雲量0の快晴で、ジリジリと体力が奪われていったのですが、
そんな中でも色々と考え事をしました。実験のことです。修士になって研究内容も変わりつつありまして、
どんな状況が想定されるだろうか、最適な実験方法は何だろうか、
より一般的な規則性を導き出すためにはどうするべきだろうか、などなどを考えました。
どれだけ理論を振りかざしたところで、実際に実験してみるとうまくいかないものですが、
そういった場面になったとき「これだけ準備してダメだったなら仕方ない」と切り捨てられるところが、
最低限のメリットとしてあります。
また、私は実験は好きで、中でもより好きなのは、より進歩性の大きな実験でして、
最適環境条件を探るような、多少のつまらない実験も甘んじて受け入れるつもりです。
私は実験が好きです。また新しい方法が浮かび上がった以上、今からでも実験したいです。
でも同時に、実験ばかりしてていいのか、と思い至るのです。
好きなことを生活の柱に据える危険性というのは、仮にできなくなった、
その時の反動の大きさによって語られることが多いです。
野球選手が肩を壊す、料理人が味覚を失う、職人の持つ技術が通用しなくなる、などの仮定です。
そういう筋の説得も正しいと思いますが、今回の話はちょっと違いまして、
「100%良い通りにいく」という前提のもとで進めます。
というのも、実験が好きで、実験すればするだけうまく運んで、
そんなことがあれば楽しいのでしょうけど、一歩引いてみれば、
それはお酒が好きで昼夜構わずアルコールを飲み続けている中毒者と、
根本として同じ次元ではないでしょうか。
科学的なことはいずれ世の中に還元される、つまり、善い行いだから許される、
そう決めてしまえばそれまでですが、あまりにも偶然性に頼りすぎている気がします。
ならば実験を嫌いになる、またはその段階までいかなくても、ほどほどに好きになればいい、
という解決策が提案されますが、ある程度ポジティブな感情に対してわざわざブレーキをかけるというのも、
疑問が残ります。やりたいことを放り出して散歩するのは妥当な行いでしょうか。
そんなこんなで、もうすぐ猿投山の頂上です。
疲れも溜まってきた上にかなり道が険しくなってきて、
そろそろ考え事をしていられなくなってきました。頭の中がクリアになる、いい体験でした。
1ヶ月以内を目処に更新します。さようなら。